今回、筆者は毎年大阪府岸和田市で行われる「岸和田だんじり祭り」について、2018年に開催されるにあたって「岸和田だんじり祭り」の歴史について、紐解いてみたいと思います。
 
歴史をさかのぼって元禄16(1703)年、江戸5代将軍徳川綱吉が統治している時代に岸和田藩主岡部長泰公は京都伏見稲荷の分霊を岸和田城内三の丸に移動させ、五穀豊穣を祈るために稲荷祭りを始めました。
 
城下の町民が祭礼時に城に入ることを許されるようになった際に、車輪をつけた台車に鳴り物を乗せて神楽を舞ったり、相撲が行われました。そして小さなだんじりを作り、その上に人や風景を模した飾りを乗せて曳行するようになりました。
 
また、今から約260年前、町方の茶屋新右衛門が牛頭天王社の夏祭に献灯提灯を掲げることを許可されたのが起源とされているという説もあるそうです。
 
そんな歴史の長い「岸和田だんじり祭り」について、記述したいと思います。
 

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「岸和田だんじり祭り」の歴史は長い?

引用:https://www.city.kishiwada.osaka.jp/site/danjiri/rekishi.html

約300年の歴史と伝統を誇る「岸和田だんじり祭」は、元禄16年(1703年)、時の岸和田藩主岡部長泰(おかべながやす)公が、京都伏見稲荷を城内三の丸に勧請し、米や麦、豆、あわやひえなどの5つの穀物がたくさん取れるように(五穀豊穣)祈願し、行った稲荷祭がその始まりと伝えられているそうです。
 
当初の祭礼は、「にわか」や狂言などの芸事を演じ、その後に三の丸神社、岸城神社へ参拝したようです。
 
城下の町民が祭礼時に城に入ることを許されるようになった際に、小さなだんじりを作り、その上に人や風景を模した飾りを乗せて曳行するようになりました。
 
この小型のだんじりが徐々に立派になり、城下町だけではなく村々でも祭礼の時に出されるようになりました。古くは村ごとあるいは地域ごとに別々の祭りとして行なわれていました。
 
1952年(昭和27年)に祭りの日が統一される以前は、脇浜の高おかみ神社(脇浜戎大社)と王子の南近義神社に宮入りする地域が9月22日久保の阿理莫神社に宮入りする地域が9月25日森の稲荷神社に宮入りする地域が10月15日に祭りを行なっていました。

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現在のだんじり祭りを行う意味合いは違う?

引用:https://www.city.kaizuka.lg.jp/danjiri/rekishi.html

昔は、五穀豊穣として穀物が沢山取れるよう祈願したお祭りでしたが、今は社会の構造も様子も変わってきました。
 
収穫を人々とともに願い、祝うことからはじまった年に一度の祭りは時代が変わって、移ろいゆく世の中にあっても、人々の心の根原に流れる「地域」を結びつける精神はずっとつながっています
 
現在は穀物の方策を願う五穀豊穣だけでなはく、だんじりそのものを楽しみに来る観光客も多いようです。
 
「岸和田だんじり祭り」は全国でも有名なお祭りなので、テレビや過去のだんじり祭りの様子を見て実際に生で観たいと現地まで駆けつけてくる熱心なファンもいるようですね。
 
2018年「岸和田だんじり祭り」もこの長い歴史を事前に勉強して、本来はどんな祭りなのかを学習してから実際に「岸和田だんじり祭り」に参加すると、また違った見方が出来るのではないかと思います。

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岸和田だんじり祭り2018の歴史まとめ

引用:http://www.kishiwadadanjirimatsuri.com/

今回は2018年「岸和田だんじり祭り」が開催されるにあたって、約300年近く続いてきた長い歴史や祭りの本来の意味について調査しました。
 
最近では「岸和田だんじり祭り」の本来の意味である五穀豊穣に加えて、祭りそのものを楽しむ人も増えているようです。
 
この機会に「岸和田だんじり祭り」の歴史を学んで、だんじりの新たな楽しみ方を味わってはいかがでしょうか。

  

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